綺麗なままでいられたら


実は「推しが好き」という言葉を言うのがとても怖い。


文章で当たり前のように書いているけど文字を打っている画面の前の私は毎回びくびくしています。裏切られるとか信用しているとかそんなちゃんとした理由じゃなくて「『好き』って言っていたあいつの推しまたやらかしたよな」って笑い話になることが死ぬほど怖い。トラウマでいろいろ昔のことを思い出しそうで怖くて怖くてしかたがない。推しは少なからず過去に炎上をしているし叩かれる姿も何回も見てきました。どの時も特にダメージを受けずに「まあまあ推しが悪いことだよね」と思えてきた。だからこそこの『怖さ』も実は見かけ倒しのものだって分かっています。分かっているけれどその言葉を口にするのがおそろしくなる時があります。



私のブログを読んでくださった方にとって私のイメージがどのようなものかちゃんとはわかりません。実年齢よりも幼いイメージをもたれている方もいらっしゃるかもしれませんし盲目的だよな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。人が感じているすべてはわかりません。
でも、そんな聖人君子でもなければいいオタクでもなくてただの弱いオタクが私です。心が強くなければ体も強くないし財力もなければ権力もない、それが私です。


そういうことがばれるのが怖く感じることがあって見栄をはってしまうこともあります。かっこわるいですよね、人間くさくて格好悪くてもういなくてもいいよな、とよく思います。それが私です。


「綺麗なままでいられたら」


なにを書くか迷いました。綺麗事をかこうとしたり推しはやっぱり最高だな!という文もかこうとしましたがそもそもブログタイトルから綺麗じゃないことを宣言しているので見栄をはるのをやめてかきます。


だからいないと思うしいたら「え!?心に浄水器がついてるくらいいい人じゃん!!」と感動して握手させていただきたいくらいですがもし私に綺麗なオタク像を描いている方からすると人間くさく感じるかもしれません。汚いな、と思うかもしれません。それでもよければどうぞ。



たまに考えるのがもしもなにかで私が耳が遠くなったら推しを応援するのをやめるのかな、ということです。


一時期、起き上がることすら苦痛の時期がありました。誰かの声も騒音で聞く気力もなくてだらんとベットから起き上がれない時期です。テレビの声も看護婦さんの声も推しのラジオすらうるさくて「推し黙れ」と心の中で思っていた時期です。


よく友人に応援して何年経つ?と聞かれることがありますがいつも答えに困ります。推しの現場に行かなくて情報を追えない時期が1年くらいあってその中に声すら騒音に思う時期があったので。その時はもう推しのオタクですらなかったんじゃないかと思っています。


だって、声優オタクが推し声優の声を聞けないんですよ。病院の外にもいけないから雑誌も見れないしラジオも聞けない、これってオタクっていうのかなって。
私はあの時は推しのオタクじゃなくてただただ推しという人に縋った死にぞこないの期間だと思っています。こんなのカッコ悪くて普段言えないんですけどね。
だから、「推し」という言葉も「オタク」という言葉も少し不思議というかどうしたら誰かを「推し」と定義して自分を「オタク」と認識するのか疑問に思います。


そして、私は本当に推しのオタクなのかな?と思うこともたびたびあります。推しに対しての感情は歪んでいると思うし口を開けば悪口が出てくる。優秀なアンチになれると思いますよ。愚痴垢持っていないけどね。


周りが楽しそうに見えるしすごく憧れます。同時に同担に対して嫌な感情を持つことも多くあります。口が悪いし性格も悪いので自己嫌悪も得意です。いえい!




それは友人にも似たような疑問を考えがあります。

私がオタクをやめたら友人達とは縁が切れてしまうのかなってたまに思います。もしも自分が同じようなことをいわれていたとしたら「は!?」と怒りますしなんだったら「ほ、ほ、ほんとうにそんなことを考えているのか!?!?」とカッターで応戦します。あいにく、カッターだったら計10種類くらいの様々なタイプのものを持っているのである程度は戦えます。


でも自分が、と考えた途端ダメなんですよね。オタクじゃなかったらこんなこと考えなかったのかな、とも思いますがオタクじゃない自分の記憶が3年ほどしかないのでよくわかりません。幼稚園から出直すべきかな~。ショタコン変態って言われて幼稚園の散歩を目で追う度に「警察行こうね」って言われる私がいったらダメな気もするけどな~。流行りの異世界転生ものじゃなくて幼稚園児転生ものの主人公になるしかないかな・・・。



臆病で人を信じるのも苦手です。
人から裏切られるのがものすごく怖いです。虚勢を張ることもあるしありのままの口の悪さを友人の前でだします。もとから性格を偽るのも苦手なんでしょうね、単細胞だから。
\ゾウリムシ/\ミドリムシ/\ゾウリムシ/


綺麗なままでいられたら、なんてブログタイトルが笑えますね、いくら願っても綺麗な感情を得ることはきっとないのだから。



虚勢をはって推しが嫌いと言って推しを好きということに怯えます。そしてさぞ真面目そうに「推しとはなんだろう」と話すのです。自分に都合のいい逃げ道を作ってなにかあったときに逃げれるように。

なにがブロガーだ、なにが推しが好きで応援しているんだ、そう自分で思います。綺麗かどうかをいう以前に人間くさくて格好悪くて自分が嫌になります。


とは言っても、必ずしも綺麗な感情が必要とは思いません。
だって人間みんな心が綺麗だったら恐ろしいくらいにつまらなくないですか。それは理想でもあるけれど平凡で退屈なものでもあると思います。
例えば、お話一つをとっても様々な人がいます。みな同じように悩んで苦労して答えを出して前に進む。その中には当たり前のように嫉妬や劣等感、嫌悪、憎悪そういった感情がある。そこから成長することも多い。それが全員綺麗な感情しかなかったら。なにが面白いんですかね。


だから綺麗なままでいる必要もないと思います。汚くたっていいと思います。だってそもそもその「綺麗」も「汚い」も人によって判別がちがうし。自分自身のことは汚いと思ってしまうけど個人的には狂っている愛も劣等感もある程度なら綺麗で真っ当な感情だと思っています。だって綺麗なままでいられたら、と思うのも願望で劣等感と憧れの塊でしょ。
 

だから、この言葉は綺麗でいたいと言うよりも、そう思いながら汚れた感情を持っても生きていくという捉え方もできると思います。


書いてて思ったけどそういうならさっさと分かりやすいブログタイトルに変えてよ、私。由来どころかブログタイトル名すら思い出すのに時間かかったでしょ。いいブログタイトルあったら教えてくださーい(それは自分で考えるもの)



私は自分って最悪な人間だなと思って過ごしてきました。今もそう思っているけど。けれど存外、そう思っている人っているんですよね。じゃあ「最悪」じゃないじゃん。「最も」ではないよね。ていうか、最悪がいっぱいいるってどういう状態なのよ。テ○ルズのバル○トスがいっぱいいるってこと?地獄かよ。


オタクをやる上で綺麗とは言えない感情は山のようにあります。


たまにそれに蝕まれて辛くなることがあります。でもそれは一種の呪いみたいなことだと思います。私自身それを解くことはできていないけど呪いを呪いとして認識すると見方も変わるな、と感じています。


だから自分の感情のナイフで自分の心臓を刺さないで。ちゃんと生きていて誰かと会話ができて少しでも生活ができるだけですごいことだから。何気ないことができるのは当たり前でも普通でもなくて褒められてもいいくらいのことなので。

だって生きているだけでみんなすごいんですから!ね!!

なにを言ってんだって思ってる?私も!!!


現場が消えた今、生きる意味ってなんだろうという言葉をたまーに見ます。

え、生きるだけで偉くない?それで生存に必要な食事をしているんだよ天才じゃん。そのうえ仕事してるんだよ神様かよ。生きる意味なんてそんな重大なもの簡単にでるわけないと思ってます。そんなのすぐにわかったら人生どんだけイージーか。

つらいことも多くあるけれどまた現場で笑顔で会えるために。私は友人に紐をくくりつけて現場に引きずってでも連れていくために。

乗り越えたいですね。この日々を





ここまで読んでくださってありがとうございました。






最後に素敵な企画を用意してくださった泡沫さん、ありがとうございます。
いつもかけないような文字をかくきっかけになりました。




これを読んでくださっている皆様が一日でも早く大切な方に会えますように。


2020.05.06