私の大好きな人について

お久しぶりです。お元気してましたか。

私はぼちぼちお医者さんと看護師さんと上司に説教されながら生きています。

 

読んでいる皆さまが元気で笑顔を浮かべる時間が日々の中にあるのなら私は嬉しいです。

 

さて、久しぶりに筆をとった理由。担降りブログというものを書こうと思い、久しぶりにここへ来ました。

 

「降りたんか、お前」と思われる方、私もよく分かっていません。明確に降りた言うのも難しいかもしれません。

お金は使いますし現場があれば足を運びます。今も推しのお芝居は世界一、というわけではないけど唯一無二で最高だと思っています。役者として私はこの人以上に好きな人はいないと嘘偽りなく言えるでしょう。

ええ、大好きです。お芝居も歌も発する言葉も、全てが大好きです。今の私の土台の一部と言っても過言ではありません。特別な人です。

 

しかし、ご時世になってから数年。ふと思ったときに、今までのように追うことはできないなと感じました。そして筆をとるに至ります。

ですので、嫌いになったとか、お金を使わなくなったとは違うため何と言えばいいのかも分かりません。ただ、自分基準で以前よりも熱を込められないことにピリオドをつけたいと思っただけです。

 

「へ〜〜い、お前もう降りたんだな!!現場こねえな!!ばーか!!!」って思った同担、気ぃ抜くな。

 

 

私はこのブログを初めたときから一つ決めていたことがあります。「降りることを決めたときに推しの名前を出したブログを書く」ことです。

そのいつかの日をずっと待っていました。例え憎しみを持っていても無感情であっても、私の生き様の記録として書こうと決めていました。だから書けることが本当に本当に嬉しくてしかたがありません。

 

そういうことなので、私の担降りブログにどうぞお付き合いくださいませ。私にとって最初で最後であろう声優界隈での推し、柿原徹也さんの好きなところの話にお時間をいただけたら嬉しいです。

 

 

まず、柿原さんの何が好きかと言うと声です。唯一無二というか、特徴的。この人しかできないお芝居がたくさんあって、この人だからこそ、と思える演技を沢山見てきました。

 

世間的には熱血キャラや色男系、よく喋るキャラを演じることが得意と言われているように思います。

 

しかし!しかし、違うんだ!!柿原徹也は病んでいる男と復讐心を胸に抱えている気弱なキャラの演技がすごいんだ!!これはブログでも何度か叫んでいますが、凄くいいんです。

恨みや執着を最初から全面に出していないものの言葉の端々から感じられるドロドロとした感情の渦巻が段々と滲み出てくる様が良い。

そしてドッと隠していた人間の醜い部分が決壊をしたように溢れだすの演技がピカイチ。ガクンと人が変わったように本性が出るのにわざとらしさが何もなく、隠し通すのが限界だったのだと声だけで理解させるのは柿原さんだからこそだと思っています。

異常な言動や精神状態ではあるものの、お芝居ではなくキャラが心のうちを何とか言葉として出そうとしているのだと思うので柿原徹也の演技を聞いているのではなくキャラと向き合っているんだと思わずにはいられない、そんな経験を与えてくれるのも柿原さんの大好きなところです。

 

やっとキャラ名をまともに言えますが、Blackish Houseの姫崎藤吾やCode:Realizeのフランは好きでしかなかったです。まじで天才。方向性は変わってしまいますが黒蝶のサイケデリカも好きです。

 

それと、Kiramuneのリーディングライブ。配役天才か???と頭を抱えた回数は数知らず。どこか弱々しく、それでいて芯があり、しかし中にはその芯となるのが恨みとなっている役もあり、完全に私特効なものばかりでした。

しっかりと役を考えて固めた上で舞台に立っている様、時にはダフキャスの方の演技プラン捻じ曲げてね??って思うこともあるほど強烈な演技をすること、全てが大好きでしかたがありません。本当に今思い出しても頬が緩むほど好きです。

 

お芝居だけでどれだけ書いているんだと書いている私が思い始めて来ましたが、まだまだ言いたいことは山ほどあるのが困ることです。好きなところが多いのがわるい。

 

息遣いも声の出し方、震え方。憑依するように演じられる姿に「ここはどういうふうに考えて今の演技をしたのだろう」と考えることがすごく楽しい。こんなことを考えるのも柿原さんだけです。

 

まだまだ書ける。しかし、このまま書いていたら途中で飽きられるブログになることは想像がつくのでお芝居についてはこのくらいにしておきます。最後に一言言うのなら、柿原さんが演じられた空の境界臙条巴が何よりも大好きです。

 

 

では、次の話に移りましょうか。次は歌ですね。

歌に関しては、今更話すのも馬鹿らしいほど好きです。ここが好き!を言葉にしてしまうと陳腐になってしまうのではないかと思うので言葉も出てこないのが本音ですが。

 

第一、この人の歌が無かったら私は生きているかもわからないわけで。とんでもない存在です。

柿原さんの歌のお仕事は歌声は勿論ですが、曲調や歌詞、雑誌やラジオで話してくれる曲の話、作詞家、作曲家の話。その全てが楽曲の要素になって、一つ一つが輝き魅力を増やしてくれる。

キラキラとしたものも、夕暮れのように温かい光に包まれるものも、思わず体が揺れてしまうものだって。楽曲は多くあるのに同じものはなく、一曲一曲が特別であり大切な作品です。そういった楽曲に、日常の一コマやライブの思い出によって色を足され、大切なものとして姿を変えていくのがとても楽しく、好きでした。

 

歌に関しては、私は特にライブは大好きです。柿原さん関連のイベントでオススメをするなら朗読劇の次にソロライブをオススメしています。ただ楽しく、その場にいる人たちを大切に思ってくれたあの空間が大好きです。どうして柿原さんが好きなのか、あの空間にいれば言葉にするより先に伝わると思っています。それぐらいに好き。もし、ソロライをするなら今だって意地でも全通する。

 

話を少し脱線させますが、私が柿原徹也さんの歌の中で正気を失うほど好きな歌があります。「夜が」という楽曲です。今も聞くだけで限界化しますし、一時期は好きすぎて聞けなくもなりました。

機会があれば是非聞いてください。機会がなくても聞いてください。

「夜が」以外に私のオタ活を狂わせた楽曲が「通り風」と「咲いちゃいな」です。柿原徹也さんを知っている方からすればこの2曲は「あー」となるかもしれません。この3曲に私はだいぶ狂わされました。また、私がもう少し生きるか、と決めたときに歌っていた歌は「君はどう思ってるの」という楽曲です。実はこの4曲、作詞作曲が同じ方です。佐伯ユウスケさんです。

つまりは私は柿原徹也に人生を狂わされたと同時に佐伯ユウスケにも狂わされたということです。これを私界隈では「佐伯ユウスケの呪い」と呼んでいます。

 

何故いまここで佐伯さんの名前を出したかと言うと、実は4年前から別の界隈でオタクをしているのですが「呪いから逃れたぞー!!楽曲に狂わない自由の地だー!!」と拳を上げて楽しんでいたのですが、オタクをし始めてわりとすぐ、佐伯さんがその界隈に関わるようになりました。

知ったときは素で断絶魔が出ました。流石にタイミングが良すぎて私が佐伯ユウスケなのかと本気で悩み、「私と佐伯ユウスケ」という論文を少し書きました。絶賛、今も狂わされて呪われています。

 

でも、こんなことも柿原さんと出会わなければ考えもしなかったと思うと感謝感謝ですね。作る楽曲が片っ端から刺さって苦しむ音楽家の方と出会わなかったのですから。

 

 

また、話が長くなっていますね。まだ余裕で話せますが次に行きますか。

 

そろそろ、柿原徹也さんご本人の話をしましょうか。私は基本的に役者である柿原さんが好きです。発する言葉や発信する考え方が好きです。強い言葉を使うこともあるため炎上もよくしていましたが可燃物だと思って楽しんでいました。よく燃える。

そもそも私は、燃えるけど自分の芯や考えをしっかりと持ち、伝えようと努力する人が好きなのだと思います。そして、努力や苦しい経験をして今の立場にいる人。周りから愛され、ニコニコ笑っている人がすき。

 

柿原さんを推す中でやっと気が付きました。

 

冷静になれば「そりゃあ柿原徹也に沼るわけだ」と笑ってしまいますが、少し前までは「何で私は柿原徹也のオタクなんだ?」とよく考えたものです。

 

ラジオ、雑誌、ライブやトークショー。本当に様々な場で柿原さんの言葉に触れました。接近や接触だってバンバン行っていました。あのとき触れた言葉たちは「役者:柿原徹也」の言葉であり「柿原徹也」の言葉とは違っていたのかもしれません。しかし、私は役者であり、事務所やレーベルなど大人のフィルター越しの彼を見て沸くことが好きだったからこそ間違えなく彼の言葉で幸せになったのだと思います。幸せでした。

でもこの点に関しては間違えなく「幸せでした」と過去形になっています。幸せだった、元気をもらった。過去形です。

 

降りるんだな、と思った原因はここにあります。ある時、柿原さんの言葉に何も感じていないことに気が付きました。驚きも怒りも喜びもない。びっくりするくらい何も感じない。

 

ああ、彼の言葉から自分は多くの物も得て自分も変わったのだと感じました。この人の言葉が必要だった自分は溶けて消えたのだと思っています。きっと、段々とトークショーへ行くことや雑誌を買うことも減るんだろうなと思う中で、現在進行形でゆっくりとゆっくりと『終わり』を感じています。それは芝居や楽曲、生み出すコンテンツが好きだとしても彼のオタクとしての『終わり』です。

 

 

推しと言っていたのに、そんなあっさり終わりを認めていいのか!?お前の気持ちはそんなもんだったのか!?と思われる方もいるかと思います。が、個人的には『いい』です。

 

これは私の信念でもありますが、とりあえずの現状維持は衰退だと思っています。好奇心の死は人としての死だと教わって生きてきました。変わることは悪いことじゃないという考えがあります。

 

だからこそ、自分が変わる瞬間は受け入れて変わってしまおうと思うのが私です。むしろ自分で自分の内側の変化が分かることが好きだったりもします。

 

それに、過去「いや、私は○○さんのオタクだから!!」としがみつくこともありましたが死ぬほど病んだのでもう懲り懲り。

 

別に嫌いではないし、歌やお芝居も見るわけだし。それに、もしかしたらこの先に見たことがない景色や感じたこともない気持ちを経験できる機会があるなら未来に賭けていいじゃないかって感じです。

 

まあ、人生もう半分は壊れてるし、体には爆弾抱えているので後悔している暇はないのが本音。

 

 

 

そんなこんなで筆をとることにしました。

 

 

でもお分かりの通りまだまだ好きなところはたくさんあります。どこがいいの?と聞かれたら長ったらしく話す自信もありますし、きっと完全に降りたとしても変わらないでしょう。心底彼のお芝居と歌に惚れている自覚があります。だいたい好きな声優は柿原徹也以外いないんだから白旗です。

 

 

それでもひと括りとしてこの文章をここに残します。

 

柿原さんのおかげで本当に色々な人と出会えました。すごく大切な友人ができたし、はてブロで色々な人と出会えました。本当に幸せばかり貰っています。

 

 

最大限の感謝を込めて、あなたを応援できること本当に幸せに思います。

 

 

このブログは柿原さんのことを書こうと開いたんですが、これから先どうしましょうね。どうせ、担降りブログと抜かしてこの先も柿原さんのことを書くと思いますが別界隈のことも書こうかな。佐伯ユウスケさんの呪いに蝕まれている別界隈の話とか。書くことねえ〜〜。

乙女ゲームもしているしどうせ柿原さんの話をしていると思いますが気が向いたら別界隈の話もします。

 

 

さてさて、だいぶ長くなってきましたのでここらへんで幕を閉じさせてもらいましょう。実は、担降りをしたときに名前を出してブログを書くと決めたときに、同時に「憎しみが強かったら最後の一文を『柿原徹也さんが大好きでした』と書こう」と決めていました。しかし困ったことに随分と幸せにこのブログを終えることになりまして。しかも、柿原さんをちっとも恨んでいない。

 

当初の予定が狂ってしまった!演技で狂わせ、歌で狂わせ、担降りすら狂わせてくると流石にムカついてきますね。恨みが湧くかもしれない。

 

 

ということで、最後はこれで締めましょう。

 

 

 

柿原さん、生まれてきたことにありがとう!大好きだよ!!